脳機能計測で言語機能を解明し言語障害の治療に挑む
新たな研究成果や研究の魅力、醍醐味などを語ってもらうシリーズ企画「私の研究最前線」。第10回目は、MRIや脳波信号から高次の脳機能を解明し、臨床研究への革新的アプローチに挑む、人文社会学部人間社会学科言語科学教室の橋本龍一郎教授にお話を伺いました。


人文社会学部 人間社会学科 言語科学教室 橋本 龍一郎教授
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。専門は認知脳科学、言語科学、臨床脳科学。fMRIを用いた言語機能、聴覚情報処理、エピソード記憶、発達障害に関する研究を行う。昭和医科大学発達障害医療研究所客員教授も務める。国内外の研究機関でポストドクトラルフェローの経験を持ち、現在は物語生成の脳科学研究と失語症や自閉症の臨床脳科学研究に取り組む。
Q.言語機能を専門とされていますが、現在どのような研究を行っていますか?
私の研究は大きく二つの柱があります。一つは一般の成人の方々の言語機能を調べる基礎的な研究で、現在は特に「物語」の研究に力を入れています。もう一つは発達障害の一部や失語症といった言語やコミュニケーションに問題を抱える方々への臨床応用研究です。これらは一見異なる分野に見えますが、実は言語機能という共通の基盤で深く結びついています。
物語の研究というのは、自分の経験を基に言語化して物語を作っていく過程を脳科学的に解明するものです。例えば、私が今こうしてお話ししているように、人は自分の経験を人に語る際、単なる事実の羅列ではなく、感情や想像も交えた物語として構築します。この過程では言語機能とエピソード記憶という人間特有の高次認知機能が密接に関わっています。
興味深い発見として、被験者に「事実に忠実に思い出してください」という条件と「事実をベースにして、違った展開になったように思い出してください」というフィクション的な条件で実験を行うと、実はフィクション的に思い出した方が、エピソードを想起しているときの主観的な経験とより相関する脳領域が活発になることがわかりました。つまり、人間は記憶を語る際、実際に起きた出来事をそのまま思い出すのではなく、何らかの創作的要素を加えて一貫性のある物語として再構築しているということです。
これは非常に重要な発見で、例えば入学試験に合格したときの記憶を思い出す場合でも、「もし落ちていたらどうしただろう」といった想像や「あのときはドキドキした」といった感情的要素を組み込んで語っているのです。人に語って聞かせるエピソードには、必ず何らかの一貫性や物語性が必要で、そのために人は細かい事実を省略したり、作り変えたりして話を構築していると考えられます。
一方、臨床応用研究では、昭和医科大学の発達障害研究グループとの15年間にわたる共同研究として自閉症の研究を続けています。最近では特に聴覚過敏という現象に注目しており、自閉症の方が特定の音を極度に嫌がったり、掃除機の音でパニックになったり、会場の拍手音で混乱してしまったりする現象のメカニズムをfMRIを用いて解明しようとしています。聴覚系の先には言語があるわけですから、同じ枠組みで研究を進めることができます。
そして最近、大きな成果として発表したのが、脳波信号で言語機能の脳領域の個人差を推定する技術です。これは失語症の個人化脳刺激法開発に向けた研究で、東京科学大学の吉村奈津江教授、Ghoonuts株式会社との産学連携により実現しました。従来はfMRIという大型で高価な装置でしか調べられなかった脳の言語機能領域を、より簡便で安価な脳波測定で特定できる可能性がみえてきました。
この技術は失語症治療に大きな変化をもたらす可能性があります。失語症の方は「物の名前が出てこない」「言葉を聞いても理解ができない」といった症状に苦しまれており、日本には約50万人の患者さんがいらっしゃいます。生涯にわたって症状が残ることも多いことから、新しい治療法の開発が強く求められています。

Q.言語脳科学の研究をしようと思ったきっかけを教えてください
実は私は完全に文系の人間として大学に入りました。高校時代は英語が好きでしたが、特に英語の聞き取りが苦手で、「どうして英語の聞き取りはこんなに難しいんだろう」と科学的に理解したいという気持ちはありました。しかし、当時の私は完全に文系志向で、ロシア文学などの文学方面に進もうと真剣に考えていました。
転機となったのは東京大学の文学部で実験心理学を選択したときです。私は心理学というと精神分析のようなことをやるのだろうと完全に思い込んでいました。ところが実際には、文学部にありながら非常に理系的な色彩の強い分野で、最初は本当に強い拒否反応がありました。「選択する専攻を間違ってしまった」と思ったのですが、不思議なもので1年もしないうちに、だんだんこちらの方が自分にとって面白いと感じるようになったのです。おそらく、授業を通して初めて触れる分野だったからこそ、純粋に興味を持てたのだと思います。
決定的な出会いとなったのは、週1回授業に来られていた精神科医の先生との出会いでした。当時、東京大学の心理学科は視覚をはじめとする知覚心理学が主流で、言語に関する研究はほとんどありませんでした。私はもう少し人に特有の高次の脳機能、特に言語機能に興味があったのですが、そのような研究環境がなかなか見つからずにいました。そんな中で、たまたまその精神科医の先生が、言語学の先生たちと共に言語脳科学の新しい研究プロジェクトを始めたという話を聞き、関心を持ちました。そのことがきっかけとなり、大学院では東京大学総合文化研究科に進学しました。
そこで出会ったのが、fMRIという当時としては非常に珍しい装置でした。現在でも数が少ない高価な装置ですから、大学院時代からそれを使って言語研究ができたのは本当に幸運でした。
博士号取得後はアメリカに留学しました。実は3カ所ほど転々としたのですが、最初は大学院でやっていたような言語と脳機能計測の研究を続けていました。しかし、ポスドク時代にまた新たな転機が訪れます。ちょうど2004年から2005年頃、精神疾患の脳機能イメージング研究という新しい流れが生まれていました。
統合失調症や自閉症といった精神疾患や発達障害が、言語機能に関わる脳領域の機能変容と関係があるというエビデンスが蓄積され始めていました。私がポスドク時代にこの新しい研究の流れに出会えたのも、また偶然の幸運でした。そこで、精神科領域の研究に足を踏み入れることになりました。
振り返ってみると、「もし実験心理学を選ばなければ」、「もしあの精神科医の先生に出会わなければ」、「もしアメリカ留学のタイミングが違っていれば」、選択肢一つ違うだけでまったく異なる人生を歩んでいたかもしれません。
Q.脳波信号による言語機能推定技術について、詳しく教えてください
この研究は失語症の治療に大きな変化をもたらす可能性を秘めています。失語症は脳卒中の約30%で発症し、日本に約50万人の患者さんがいると言われています。新しい治療法の候補として、tDCS(経頭蓋直流電気刺激)という微弱な電流を頭皮から流して脳の言語領域を活性化する方法が注目されていましたが、大きな問題がありました。
それは、言語処理に使う脳の領域が人によって大きく異なることです。従来は「だいたいこの辺り」という大雑把な位置に電極を置いていたため、刺激の効果がある人とない人がいました。そこで、fMRIを使って個人ごとに最適な刺激位置を特定する方法が提案されましたが、fMRIは装置が巨大で高価なため、実用性に課題がありました。
私たちが開発したのは、脳波という簡便で安価な測定法で、fMRIと同等の精度で個人の言語機能領域を特定する手法です。機械学習を用いた信号源推定法により、脳波から大脳皮質内の活動を推定し、その結果がfMRIによる特定領域と高い精度で一致することを確認しました。さらに重要なのは、脳波で特定した領域をtDCSで刺激すると、ものの名前を答える反応時間が平均40ミリ秒短縮したことです。
この研究は、健康な方を対象とした実験ですので、まだ概念実証の段階ですが、さらに失語症の方にも効果が実証できれば、MRI装置のない医療機関でも個人に最適化された治療につながります。脳波測定は比較的多くの病院でもでき、より多くの失語症患者さんに効果的な治療を提供できるようになります。

Q.先生の研究内容を社会に実装する上で、課題となることは何でしょうか?
最大の課題は、現在の研究が健康な成人を対象とした概念実証段階であることです。今後は実際の失語症患者での有効性検証が必要になります。また、脳波信号処理やコンピュータシミュレーションの技術的複雑さも大きな壁です。現在は研究レベルの技術ですが、臨床現場で医療従事者が簡単に使えるシステムとして完成させる必要があります。さらに、個人に最適化された治療プロトコルの確立、治療効果の長期的評価、そして何より医療機器としての安全性と有効性を厳格に検証する必要があります。実用化までにはまだ多くのハードルが残されています。
Q.最後に本学の学生や受験生へ向けて、先生からのメッセージをお願いします。
私が最も伝えたいのは、幅広い関心を持って勉強してほしいということです。特に10代後半から20代は、経験によって関心がガラッと変わる時期です。私自身、大学入学後の出会いで人生が大きく変わりました。
また、この分野は明らかに文理両方の知識と興味が必要です。文系である以上、言葉に対する優れた感覚が重要ですが、それを科学的に理解するためには理数系の能力も欠かせません。
ですから、好き嫌いを早めに決めてしまわず、コストパフォーマンスなども考えずに、少しでも興味のあることにはしっかりと取り組んでほしいと思います。偶然の出会いが人生を豊かにし、予想もしなかった道を開いてくれることがあるのです。
私の研究分野は脳科学と言語学の境界領域であり、さらに医学との境界領域でもあります。そのため、常に複数の分野の最新動向をキャッチアップする必要があり、正直自分自身どちらの専門家なのだろうと思うこともありますが、だからこそ新しい発見や技術革新の可能性を見出せるのだと思います。
現在はパラダイムシフトの時期で、従来の古典的モデルでは説明できない現象が数多く発見されています。新しい統合理論を構築する必要がありますが、そこにこそ若い皆さんの出番があります。既存の枠組みに捉われない柔軟な発想で、新しいアプローチをぜひ生み出してください。
言語機能の問題は私たちの日常生活に直結しています。失語症、自閉症、そこまでいかなくても日常的にコミュニケーションで困っている方々がたくさんいらっしゃいます。研究テーマが言語やコミュニケーションですから、それは社会生活で必ず出てくる基本的な機能なのです。私たちの研究が、そうした方々の生活の質向上に少しでも貢献できればと考えています。
卒業生の進路は多様で、プログラマー、SE、エンジニア系はもちろん、出版社、公務員など幅広い分野で活躍しています。境界領域で培った柔軟な思考力は、どの分野でも必ず活かされるはずです。科学的解明と社会還元の両面で、皆さんと一緒に取り組んでいけることを楽しみにしています。

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人文社会学部 人間社会学科 言語科学教室 橋本 龍一郎教授(はしもと りゅういちろう)