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2025.04.25
私の研究最前線 シリーズVol.8

生物化学の基礎研究を軸に新たながん治療方法の開発にも挑戦する

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新たな研究成果や研究の魅力、醍醐味などを語ってもらうシリーズ企画「私の研究最前線」。第8回目は、体内の修復酵素や修復因子がDNAの損傷を直す分子機構の研究などを進めている理学部の廣田耕志教授にお話を伺いました。

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廣田 耕志教授
理学部 化学科 廣田 耕志教授

東京大学理学部生物化学科卒業後、同大学院理学系研究科生物化学専攻修士課程および博士課程修了。博士(理学)。理化学研究所協力研究員・基礎科学特別研究員、京都大学医学(系)研究科(研究院)助教・准教授を経て、2012年より現職。主な研究テーマは「染色体恒常性維持機構の解明」。

Q.先生が現在の専門分野に至った経緯や研究内容についてお聞かせください。

 私は小学生のころから理科の実験が大好きで、将来は研究者になることが目標でした。当初は物理や化学などにも興味がありましたが、大学の教養課程で農学や医学、工学など、幅広い学びに触れた中で、生物の体内で起こる化学反応に魅了され、生命現象を分子の視点で解き明かしていく生物化学の分野に進みました。
 学部の卒業研究でテーマに選んだのは、微生物としての分裂酵母です。パンや味噌などをつくる酵母は出芽という方法で細胞が増殖しますが、分裂酵母は人と同じように細胞分裂で増える酵母菌。この分裂酵母の細胞分裂のしくみや、がんの発生メカニズムの研究を行う研究室で博士課程まで過ごしました。学位取得後は理化学研究所でも分裂酵母を使い、細胞の核内で遺伝情報を格納する染色体の機能を研究。2008年には私が筆頭著者かつ責任著者となった論文を『Nature』で発表することもできました。
 その論文では、分裂酵母のプロモーターとよばれる遺伝子のオンとオフを切り替える制御機構において、タンパク質にならない“ガラクタ”ともいえるRNA※が生まれることについて発表しました。染色体は、「ヒストン」というタンパク質の複合体に巻かれたDNAが高次に凝集したもの。この状態を「クロマチン」といいますが、この状態では遺伝子がオンになりません。私が発見したガラクタRNAの働きで、凝集状態が解けてDNAが開くことで遺伝情報の読み取りに使用できる、つまり転写できる状態にできるしくみを解明し、世界で初めて報告しました。今では分裂酵母だけではなく、人でもこのしくみが見つかり、かつ疾患との関連も報告されるようになって「エンハンサーRNA」や「プロモーターRNA」とよばれています。
 また、京都大学で医学研究科の助教になってからは、鶏のリンパ球ががんになった「DT40」という細胞を使って染色体の機能を研究する新たなプロジェクトに挑みました。医学研究科ですので疾患と関連するテーマであり、DNA修復に関わる遺伝子の機能を見つけていく研究です。京都大学には助教で2年間、准教授で2年間の合計4年間在籍しましたが、京都大学に勤めるまで知らなかった動物細胞の培養技術や、タンパク質を精製して試験管内で人工的に修復反応を起こすような実験手法を身に付けることができ、研究の幅を広げることができました。
 私の研究にも大きく影響したのは、「クリスパー・キャスナイン」という遺伝子改変ツールの存在です。このツールを使い、人のゲノム編集が非常に簡単にできるメカニズムが2012年に報告されたのです。パンドラの箱を開けたように多くの研究者が高等生物のゲノム編集に着手し、私も研究対象を鶏から人にスイッチしたという経緯があります。
 研究の幅を広げつつ、現在も分裂酵母の研究は続けています。DT40の細胞や人の細胞研究に主に鶏のリンパ球に似た「TK6」というリンパ球の細胞も使っています。必要に応じて大腸がんや膵がんの細胞、子宮頸がんの細胞などを使うこともあります。2025年度からはiPS細胞で肝臓の「オルガノイド」を分化させ、臓器を試験管内でつくって影響を調べるなど、やや高次な細胞から組織へと研究対象を広げていきたいと考えています。

※RNA:リボ核酸:DNA(デオキシリボ核酸)と類似の化学物質
DNAにA・C・G・Tの4文字で書かれた遺伝子は、タンパク質をコードする暗号です。各種のタンパク質が必要の際には、この暗号をDNAから読み出して使う必要があり、この過程は転写とよばれています。転写では、DNA 二重鎖の反対側をテンプレートとして用いて、遺伝子のA・C・G・Tの文字情報をRNAという分子のA・C・G・Uの4文字の情報として写し取ります。このRNAは遺伝情報をタンパク質工場まで伝達するので、伝達RNAとよばれています。一方、近年ゲノムDNAの中で遺伝子のない場所からも転写が見られ、そういったRNAはタンパク質をコードしないことから、非コードRNAとよばれています。当初、「ゲノムのゴミ(ジャンク)」と思われていましたが、近年ゲノム制御の様々な機能が発見されています。

Q.ゲノムに関する領域ではどのような研究をされていますか。

 人のゲノムは30億文字あり、酵母菌の約100倍です。細胞分裂する際には、30億の文字が減ってしまっては困りますので、一旦全てを複製する必要があります。ただ、そこでミスが起きると、当然ながら遺伝情報が変わって複製されてしまいます。それが進化につながればいいものの、がんに変化してしまうことが多いため、複製装置自ら間違いに気付き修復する「校正活性」という働きが備わっています。この働きにより、ゲノムを複製するだけではなく、ほぼミスなく間違いを校正できるのです。また、長い線状のためどうしても絡まりが生じてしまうDNAを、切って再結合させることで絡まりを取る「トポイソメラーゼ」という酵素も存在します。トポイソメラーゼの働きは、抗がん剤である「カンプトテシン」によって阻害され、カンプトテシンを服薬した患者さんの体内ではDNAが切れたままになってしまいます。このようなDNAの2本の鎖のうち1本が切れる状況は、抗がん剤を服用しなくても日常的に起こります。こういった損傷を複製装置が通過すると、2本とも切れた「二重鎖切断」に発展し、「アポトーシス」、つまり細胞死を引き起こします。私たちの研究では、複製装置の「校正活性」がこれを防ぎ、重篤な損傷が発生しないようにしてくれることを発見しました。現在その作用機構の解明や、BRCA1遺伝子変異の家族性乳がん治療への応用研究を始めています。

Q.臨床への応用が期待できる研究も進められているのですね。

 基礎研究が中心ですが、2021年から「ヌクレオシド類似体」という化合物を抗がん剤にするためのプロジェクトも進めています。将来的には新たな創薬につながる研究です。ゲノムの30億文字はA(アデニン)・G(グアニン)・C(シトシン)・T(チミン)の4文字の組み合わせで形成されており、A・G・C・Tの一つ一つをヌクレオシドといいます。このヌクレオシドの類似体は、複製中にゲノムに取り込まれ複製を阻害するため、これを取り込みやすいウイルスの増殖を制限できます。このため、1980年代からウイルス治療薬として使われてきた実績があり、ヘルペスやコロナウイルスの治療薬のほか、HIVの治療薬にも使われています。私の研究室でも、約10年前からヌクレオシド類似体の研究には力を入れて取り組んでいます。

タックルでの衝撃の大きさや頸部への影響を研究
このグラフは、がんで変異することが多い24個の遺伝子に対する、ヌクレオシド類似体を用いた治療効果の大小を示している。(バーが左に行くほどがん細胞が死滅しやすい)

Q.ヌクレオシド類似体で抗がん剤をつくるメリットを教えてください。

 がん細胞の一般的な性質として、ゲノムが不安定化してDNA修復因子が機能不全になっていることが挙げられます。これをがんの“アキレス腱”として捉え、がんで変異した修復経路が、修復に必要となるようなDNA損傷を誘導できるヌクレオシド類似体を治療に使う、という“遺伝子と化学物質の間のシナジー効果”(特定の遺伝子変異細胞のみを狙って殺傷できる薬のこと。つまり遺伝子変異と薬品間のシナジー効果を利用するという意味)を原理とした治療法の開発を目指しています。これにより、副作用を大幅に抑えられるほか、患者さんの経済的・精神的な負担も軽減できると考えています。

Q.研究者・教育者としては何を重視されているのでしょうか。

 意識しているのは、本学の理学部化学科はあくまで教育機関だということです。そのために基礎研究を重視しており、必ずしも応用研究を目指すわけではありません。とはいえ、人々の生活や医療への貢献を度外視しているわけではなく、10年越しでやっと成果が出る研究も珍しくはありませんので、研究者としてはコツコツ、かつしつこく粘り強く研究しています。研究のスタート時には現象のメカニズムがわからず、ときには見当外れのモデルを立てることもありますが、試行錯誤を繰り返していきます。現在でも理解が及ばないことはたくさんあり、学生と一緒に一つずつ可能性を探りながら実験を重ねていくのです。その上で、せっかく挑戦するなら新しいテーマの方が面白いですし、論文は世界初の内容にすべきだと考えています。
 例えば、生物Aで確認されていた機能が生物BとCにも存在する可能性が見えてきた一方で、AにもBにもない未知の機能がCに存在する可能性が見えてきたとします。この場合、A・B・Cに共通する理由を探究する論文aと、Cの新機能に関する論文bが執筆の選択肢になりますが、私は論文aにも取り組みつつ、論文bを主とし腰を据えて取り組むことを選択します。論文aを重視する堅実な選択肢もありますが、誰も知らないことを知るための研究にやりがいや楽しさを感じますし、世界初の発見を目指したいからです。
 また、学生には、研究できていること自体が特別なことであり、誰でもできることではないという自覚を持つように伝えています。だからといって、使命感を持って取り組んでほしいというわけではなく、逆にゲームのように楽しんでほしいと教えています。私自身、いくら考えてもわからなかった謎を解明できたときは今でも大はしゃぎしてしまいますし、私のような50歳を過ぎたおじさんでも日々の研究が楽しくて仕方ありませんので、学生も自分の研究を楽しむ気持ちを持ってほしいのです。様々な実験技術や実験装置を駆使すればやりたいことは大体できますし、必要であれば海外にも行くことができます。研究を楽しんでもらう方法の一つとして、学生を海外に送ることにもこだわりを持っています。

実験器具のフローサイトメーター
実験器具のフローサイトメーター。廣田先生の研究室には、2台のフローサイトメーターやキーエンス社の顕微鏡など機器が充実。

Q.学生の海外経験に関してはどのようなお考えをお持ちなのでしょうか。

 2024年度は、私の研究室の学部生2名と大学院生4名が海外研修を経験しました。物静かで引っ込み思案だった学生でも、人前で堂々と発表できるようになることや、指示待ちだった学生が、自分のプロジェクトを自分でハンドリングして進めようと意識が変わることが多く、こうなればもう立派な研究者です。そうやってたくましく育っていく学生を見ているのは嬉しいものです。私からすると、純粋に海外での経験を楽しんできてくれれば十分なのですが、学生はそれだけで終わらせることなく、自分を高める糧にしてくれています。
 私自身は学生時代に留学経験がなく、海外での国際学会に出席したのも2007年が初めて。海外旅行の経験もなく、引け目すら感じていました。ただ、「内向的な性格を変えたい」という思いもあり、京都大学にいたころからは積極的に海外を訪れ、最近はすっかり海外が好きになりました。私は“武者修行の旅”や“押しかけセミナー”とよんでいるのですが、海外の研究者に「私の研究内容を話したい」とメールを送ると、多くの方が歓迎してくれます。現地ではディスカッションも行い、人脈ができて新たなコラボレーションが生まれたり、学生の研修先の開拓にもつながったりしています。

Q.最後に学生や受験生へのメッセージをお願いします。

 自分が好きな分野、得意な分野の勉強に一生懸命に取り組むことは素晴らしいことです。ただし、“偏食”と同様に、“偏勉強”も避けるべきであって、分野を限らず幅広く勉強してほしいと思います。一方で、勉強ばかりでも人生の楽しみ方としてはもったいないと思いますので、部活動やサークル活動のほか、アルバイトや恋人との時間も含め、全ての経験を人生の糧にしてほしいと思います。効率が重視される時代であり、“タイパ”という言葉も耳にしますが、どんな経験にも無駄なことは何もないはずです。
 私の場合、2007年に国が主導する「さきがけ」という事業の研究員に応募して不採用になりました。それで、理化学研究所での研究を続けられず京都大学に移りました。その結果、それまで実績を出してきた酵母の研究からは離れましたが、これは決して無駄ではなく、自分の研究の幅を広げ、新しいことを学び、新しい人脈もできました。今思えば、こんなにも運のいい奴はいないのではないかとさえ思います。受験生も大学生も、失敗を悔やんで立ち止まったり、一喜一憂したりするよりも、前を向いて多くの経験を楽しんでくれることを願っています。

廣田耕志教授

総合HP教員紹介ページ/
理学部 化学科 教授 廣田 耕志(ひろた こうじ)

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