紙きれが「お金」として価値を持つのはなぜ?
日常で見聞きし体験していることの中には、「これって、どうなっているのだろう?」「なんで?」と思っていることがありませんか。そんな疑問に、本学の教員がご自身の研究を通してお答えします。
経済経営学部 経済経営学科 松岡 多利思 教授
東北大学 経済学部 卒業、京都大学大学院 経済学研究科 博士課程修了。2012年4月より、首都大学東京(当時)で助教として研究と教育に携わり始め、2014年より准教授。2023年4月より現職。専門は、理論マクロ経済学、貨幣経済学、銀行理論。数学的な理論を基に、最近では中央銀行によるデジタル通貨の発行に焦点を当て、銀行システムの脆弱性と最適な金融政策のあり方について研究を進めている。
疑問:2024年7月3日に新紙幣が発行された背景と、お金が社会の中で価値を持つ理由を教えてください。
長い歴史の中でいくつかの変化を経て、現在の貨幣の姿があるのです。
Q. 紙で作ったお金、紙幣に価値があるのはどうしてですか?
紙幣が価値を持つのは、端的に言えば「みんなが使っている」からです。日本に暮らす非常に多くの人が、日本銀行券、つまり一万円札や五千円札、千円札を給与の支払いや物品・サービスの購入などに使えると思い込んでいます。だからこそ、これらの紙幣は価値を持ちます。例えば、日本では価値がある「渋沢栄一が印刷された新一万円札」をアメリカやフランスに持って行ってレストランで使おうとしても、当然のことながら支払いはできません。お店の人が日本の一万円札を受け取らないのは、その国では、渋沢栄一の印刷された紙幣が「ただの紙きれ」になってしまうからです。アメリカで使われているのは米ドル、フランスで使われているのはユーロです。その国の中で「みんなが使っている紙幣」でなければ、いくら日本で価値のあるお金だったとしても、途端に価値を失って使えなくなってしまうのです。
では、お金が使えるとはどういう状態のことをいうのでしょうか。ここで改めて、お金の性質を振り返ってみましょう。お金には、特徴的な3つの性質があります。1つ目が、物やサービスを手に入れるために交換媒体として使えるという点です。大昔、1つの地域の中で生活のあらゆる物事が完結していた頃は、お金を使わずとも、地域に生きる人同士の信頼関係に基づいて物やサービスを交換し合うことができていました。しかし、人類の歴史が進み、まったく知らない人と頻繁に交易をするようになったことで、互いの信頼関係に依存しない交換媒体が必要となりました。そこで生まれたのが、お金だったのです。2つ目の性質は、価値を貯蔵できるという点です。例えば果物を交換媒体にした場合、いずれ腐って失くなってしまいますが、お金は耐久性があり、価値が目減りすることはありません。3つ目は、物の値段を計量する価値基準として使えるという点です。日本であれば、鉛筆1本の価格を100円といった形で表すことができます。これもお金の果たす大切な役割の1つです。
こうした特徴を持つお金は、実は紀元前から使われていました。中世に入るまで、お金は金や銀などの貴金属を用いて「商品貨幣」として作られており、人々は金・銀に価値があるからお金にも価値があると信じていました。そこから、1600年代に世界初の銀行券が誕生。金や銀、銅と交換できることを確約し、価値を裏付けた「兌換(だかん)紙幣」が流通し始めました。そして、1971年のニクソンショックを契機に、現在のような金や銀に交換できずとも社会の中で使用できる「不換紙幣」へと転換。実は現在の貨幣のあり方は、まだ50年強の歴史しかないのです。
Q. 不換紙幣になったことで、国の経済政策は変わりましたか?
市場における貨幣の流通量を国がコントロールしやすくなり、長期金利や短期金利に影響を与えることでインフレーションやデフレーションへの対策をとる「金融政策」を実施できるようになりました。金や銀の保有量に応じて貨幣を発行するしかない兌換紙幣では、先述したような金融政策は、どんなに景気が悪くなったとしても基本的には実行できません。中央政府が国の経済に大きく介入できるようになったのは、ここ50年での大きな変化だと思います。
国の立場から見たとき、不換紙幣には「中央政府がお金の発行量を決定できる」という大きなメリットがあります。これは例えるなら、打ち出の小槌を持っているようなもの。政府が何らかの物やサービスを購入する際、自分たちでお金を発行してそれを企業に渡せば、取引が成立するわけです。ただし、国があまりにもお金を発行しすぎると、価値が目減りしてインフレを起こしてしまいます。例えば、過去には第一次世界大戦後のドイツで、財政赤字を補填するために紙幣を増刷したところ、卵10個の値段が3年間で約1兆倍値上がりするというハイパーインフレを引き起こし、国民生活が破綻してしまったことがありました。そうした事態を引き起こさないためにも、中央銀行は国内の貨幣の需要を見極めながら発行量を決定するという重大な責務があるといえます。
Q. 仮想通貨と国が発行する通貨の違いは?
実は、両者は本質的には同じものです。現在の円やドルは金・銀の価値に紐づいていませんから、紙幣は本来紙きれで価値はゼロであるという点では、仮想通貨と何ら変わりはありません。しかし、円やドルが仮想通貨と大きく異なるのは、その発行母体が国の中央銀行であるという事実です。仮想通貨は民間企業が発行するお金。社会の多くの場所でビットコインやイーサリアムが「使える」と認識されるようになれば、ひょっとすると社会の中で流通する通貨になるかもしれませんが、そうした未来の到来はなかなか難しいのではないかと思います。各国の中央銀行は、円やドルなど自国の通貨を守るために動きます。おそらくはこの先も、国が潰れない限りは円やドルなどの通貨が流通するものと思われます。
Q. 通貨がデジタル化される時代は来ますか?
現在、日本も含めた世界各国で「中央銀行デジタル通貨(CBDC:Central Bank Digital Currency)」の発行に関する研究が進められています。しかし、デジタル通貨の実現には、セキュリティやプライバシーなどの技術的な問題、民間銀行の預金・資金仲介への影響など様々な課題が壁として立ちはだかってくることから、現時点ではまだ一部の新興国以外、具体的な導入と運用に踏み切った国は存在していません。ですが、もしかすると100年後には、世界各国でデジタル通貨を当たり前に使う時代が来ているかもしれません。
デジタル通貨を国の中でどのように存在させるのか。このデザインの仕方については、大きく2つの方向性が考えられます。1つ目は、国民が中央銀行にCBDCの預貯金口座を持つというやり方です。現在、日本では個人が日本銀行に口座を持つことはできませんが、それを国民に開放するのです。しかし、この方法では民間銀行が不要になってしまうため、実現には大きなハードルがあると考えられます。2つ目は、仮想通貨と同様にトークン型※でCBDCを発行するというやり方です。この方法を使えば、現金と同じようにCBDCを発行・流通させることができるようになります。
なお、たとえ国の通貨がCBDCに移行したとしても、金融政策は実行可能です。むしろ、CBDCになると通貨そのものに金利をつけることができますから、インフレ時は通貨の金利を上げる、デフレ時は通貨の金利を下げる(あるいはマイナス金利にする)といった「金融政策の打ち手」が増えます。CBDCが実現した暁には、各国は金融政策の最善策を探ることから始めなければならないかもしれません。
CBDCを導入すると、取り付け騒ぎをはじめとした銀行の存続危機が起きやすくなるといわれています。なぜなら、デジタル通貨は手元の端末を軽く操作するだけで、大きな金額のお金を銀行口座から一瞬にして動かせるからです。私は今、この点に着目し、「CBDCのしくみをどのようにデザインすれば銀行破綻が起きないか」ということを研究しています。数学を用い、様々なシミュレーションを行いながら、これからの社会に本当に必要なモデルを見つけていくことができればと考えています。
松岡先生ご自身のことについて
Q. 先生がこの分野に進んだ経緯を教えてください。
大学で経済学を学ぼうと思ったのは、高校時代、歴史と数学が好きで大いに興味をそそられる学問だったからです。はじめは国家間における貧富の差がなぜ起きるのかを追究したいと考えていましたが、学部生時代を過ごした東北大学で恩師の北川章臣先生と出会い、貨幣が価値を持ち、金融政策が効果を表す理由を数学的に紐解いていくことに面白さを感じるようになりました。そのため、貨幣経済学を自分の専門分野として選択。そこからマクロな視点で経済を捉えるマクロ経済学や銀行理論も専門として深めるようになり、時代が進むにつれて通貨とテクノロジーの掛け合わせが議論されるようになったことから、現在の研究テーマにたどり着いたのです。
Q. 最後に、学生や受験生に向けてメッセージをお願いします。
皆さんにはぜひ、「世の中に関心を持つこと」を大切にしてほしいです。当たり前に見えている世界を注意深く観察し、疑問が湧くことが見つかったら、それについて調べ、深く考えてみてください。この社会のことをもっと知りたいという意欲が、大学で経済学をはじめとした社会科学を学び、研究する大きな推進力になると思います。また、壊滅的に苦手ということでなければ、ぜひ数学も学び続けてください。特に高校生の皆さんは、受験に向けて早いうちから勉強する科目に優劣をつけ、場合によっては「数学は諦めた」と考える方もいるかもしれません。しかし、数学はただ計算をし、答えを出す学問ではありません。数学は1つの思考のツール。社会の様々な事象を考える上で役立つ場面がたくさんあります。自分の専門とは全く関係のないように見える科目の知識がどこかで結びついてくることもあり得ますから、数学も含めた高校での勉強を大切にしていただけたらと思います。
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経済経営学部 経済経営学科 松岡 多利思 教授(まつおか たりし)