理学療法の力でパラスポーツを支えていく
新たな研究成果や研究の魅力、醍醐味などを語ってもらうシリーズ企画「私の研究最前線」。第7回目は、車いすバスケットボールのU23日本代表チームサポートをはじめ、理学療法士として数々のパラスポーツをサポートしてきた健康福祉学部の信太奈美准教授にお話を伺いました。
健康福祉学部 理学療法学科 信太 奈美准教授
理学療法士として埼玉県総合リハビリテーションセンターに勤務後、首都大学東京(当時)健康福祉学部理学療法学科研究員、助教を経て現職。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程修了・博士(スポーツ科学)。現在は、日本スポーツ理学療法学会や日本パラリンピック委員会での各種委員や、日本アンチ・ドーピング機構の理事も兼務している。
Q.まずは、信太先生が進められている最近の研究内容をお聞かせください。
私は現在、車いすバスケットボールや車いすラグビーといったパラスポーツ関連の研究や、脊髄損傷に関連する研究などを進めています。また、東京都と連携し、障がい者の健康づくりに寄与するためのプロジェクトも進めています。東京都は障がいのある人のスポーツ普及率向上を目指しており、そのためのウォーキングイベントやアプリ開発などに関わってきました。現在は「バーチャルスポーツ」という切り口で「障がいがあっても、少しの工夫でスポーツが楽しめる」という情報発信を行っています。
メインの研究テーマである車いすを利用したスポーツ関連では、車いすのスポーツ特性について研究しています。車いすバスケットボール、車いすラグビー共に接触が激しいスポーツですが、例えば車いすラグビーではタックルの際に、車いすへの衝撃が加わるため頸部への影響が大きいと考えられます。ルール上、タックルは車軸よりも前に行われるので、基本的にタックルを受ける側は、タックルをしようとする側の動きが見えているため、無意識に衝撃を受ける準備ができていると考えられています。その瞬間に体がどのように反応しているのか、頸部の筋肉の防御反応のタイミングや収縮の大きさを計測して研究しています。
この研究を始めたのは、車いすスポーツ選手が競技生活の中や後に首や背中、肩、肘に痛みを抱えていることを知ったからです。車いすラグビーにおけるタックルは、残存機能に負荷がかかるプレーです。また、車いすバスケットボールも含めた車いすスポーツは骨盤より下が固定された状態でプレーに臨むので、負荷が上半身に集中します。上肢の使いすぎが原因で疲労骨折を起こすケースもありますし、肩の可動域が狭まることでボールを強く投げられなくなってしまうこともあります。
スポーツの世界では、どうすればけがを防いで選手生命を長くできるかというテーマはとても重要ですし、そのための効率的なトレーニング方法が日々研究されています。しかし、車いすスポーツの分野では十分な研究が進められていないのです。
現役選手の多くは、競技生活後のことを考えながらプレーすることはないと思いますが、パラスポーツの支援や普及を進める私たちにとっては、これらのスポーツにおける負荷を把握しトレーニングに反映していくことは意味のあることだと思っています。競技生活中だけでなくそのあとの日常生活を健康的に生活していくため、スポーツ科学に基づいた研究を進めると共に、車いすスポーツに特化したトレーニングや必要なコンディショニングを見い出したいと考えています。
Q.健常者とは異なる、体への負荷のかかり方があるのでしょうか?
肩でいえば、健常者でも四十肩や五十肩といわれるような加齢変性に伴う痛みが生じるほか、高齢になると腱板損傷も起きてしまいますが、これらの問題は障がい者でも起こります。加えて、例えば普段から車いすで生活している者は、車いすからベッドなどに移動する際、全て腕の力を使います。体全体を腕で持ち上げる「プッシュアップ」という動作を経て、「トランスファー」とよばれる移動を行うために、肩関節を股関節のような使い方をします。腕を脚のように使うため、使い方も頻度も健常者以上に肩や腕を酷使せざるを得ません。さらに車いすスポーツのプレーヤーは競技中も常に腕を使っています。それでいて肩を損傷してしまえば日常生活に支障を来しますので、機能障がいや痛みを起こさないようにケアや理学療法が必要です。
こうした車いすスポーツ分野の現状に対して、健常者を対象とするスポーツコンディショニングの専門家が対応に当たるケースがあります。その際、症状が健常者スポーツと同じであっても、車いす生活特有の状況、つまり車いすの姿勢や障がい部分のコンディショニングを考える必要があり、そうした範囲まで十分に対処していくことが今後の課題だと考えています。その点、理学療法士はもともと障がいを抱えている人のための専門職であり、そこから職域が健常者に対して拡大してきたという経緯があります。スポーツに関する知見と障がいに関する知見を融合させ、今後も障がい者のスポーツ活動を支援する理学療法士が増えていくことに期待しています。
Q.パラスポーツの普及は進んでいるのでしょうか?
障がいの有無に関わらず、健康のためには体を動かすことが重要です。若者から高齢者まで誰もが挑戦したいと思うスポーツに挑戦できる環境づくりが大切です。ただ、パラスポーツにおいては、その機会が少ないといえます。障がい者が身近なところで様々なスポーツに出会い、気軽にスポーツを選んで楽しむことができるような環境が整っていないのです。例えば、特別支援学校や学級ではなく、普通学級に通う車いす利用者の児童は、体育の授業になると見学の時間が長くなりがちですし、放課後等デイサービスの現場でもスポーツ活動を取り入れるケースがあるとはいえ、地域や施設次第になりがちです。障がい者人口が一定数いたとしても、パラスポーツを提供できる体育館や、サポートできる人材が少ないのです。
そんな中、東京2020パラリンピックを経て、日本パラスポーツ協会(JPSA)によるパラアスリートの発掘事業が継続しています。これはパラスポーツに興味がある障がいがある若者に集まってもらい、体力測定などを行った上で、「このパラスポーツが向いている」とマッチングするような活動です。また、東京都も「自分がしたいスポーツ、自分ができるスポーツを見つける」というテーマの下、様々な競技団体と連携し競技の紹介を行う取り組みを進めており、私もこの事業に参画しています。
スポーツに興味がある障がい者の中には、以前スポーツを経験していた方も多く、自分にできるスポーツを探していたという声を聞きます。例えばバスケットボール経験のある方でも、車いすバスケットボールを選ぶ人もいますし、その後バスケ競技で培った上半身の筋力やバランス力などを活かし、新たに出会ったシットスキーにチャレンジしたりするということもあります。
自らが「このスポーツがしたい」と思えるスポーツにめぐり合えることが何よりも大切ですし、選択肢があることが重要です。そのきっかけがもっと多くあればパラスポーツの普及も進むでしょう。中には「きっと世界で活躍できる!」と思えるような逸材に出会うこともあります。今は健常者もスポーツの選択としてパラスポーツを楽しむ時代ですので、学校や各自治体などでも普及活動を活性化させていただきたいですね。
Q.障がい者が使いやすい体育館も増えているのですか?
地域によっては、障がい者スポーツセンターのような施設もありますが、主に健常者の利用を想定したスポーツ施設では、バリアフリー化などの障がい者向けの改修が進んでいないところもあります。障がい者が使いやすい施設とは、妊婦さんや高齢者など様々な人々に優しい施設です。その面では、多くの体育館は災害時には避難所として使用されますので、普段から体育館を障がい者が使いやすい環境にしておけば、災害時にも役立つことは確かだと思います。
私は、災害時に障がい者が弱者にならないためにも、地域の体育館における障がい者の移動手段や移動経路のあり方についても研究しています。段差の解消や点字ブロックの設置などによってバリアフリー化は進んできていますが、まだ完璧ではありません。そしてある意味完璧にする必要がないのは、ある障がいにフォーカスすると、別の障がいを抱えた人にはマイナスの影響が及ぶことも考えられるからです。そうなると、最終的には人の介入というソフト面が不可欠です。施設整備の予算やスペースが限られている中では、様々な障がいに共通するハード面の整備を進めた上で、施設のスタッフや地域の人々がどうやって障がい者と接し、サポートしていくかが重要になると考えています。
Q.最後に学生や受験生へのメッセージをお願いします。
理学療法学科では、スポーツ領域で活躍できる理学療法士になりたいという学生から、急性期管理を行いたい、地域で高齢者や子どもの支援を目指す学生まで、様々な学生が在籍しています。私の研究室においては、「スポーツ」と「障がい者」という切り口があり、個々の興味に沿って専門性を高めることができます。学部生の多くは、健常者スポーツの動作分析を研究テーマにしていますが、今在籍する学生にはノルディックウォークの研究やパラスポーツであるスラロームを研究する学生もいます。また、研究室には、大学院生もおり、東南アジアや中国からの留学生も在籍しています。
大学での学びのほか、地域のスポーツ支援員として活動したり、障がい者スポーツセンターで子どもたちと遊びながら体を動かすボランティア活動を行ったりしている学生もいます。理学療法は、「人」相手の学問ですので、受験生の皆さんも、大学入学後は視野を広げて学内外で積極的に活動して経験値を高めてほしいと思います。
最後になりますが、「理学療法を学ぶ」ということは、理学療法士の資格を取得するために机に向かって勉強して終わりではありません。「人」という相手があってこその理学療法ですので、学内でも学外でも積極的に多くの人と交流を重ねることが大切です。それが、理学療法士としての将来の可能性を広げることにつながります。自身のスポーツ活動からスポーツイベントの障がい者支援活動に参加してみたり、大学主催のプログラムで地域活動に参加してみたりするなど、積極的に様々な活動に参加してくれることを願っています。
参加したい活動が見当たらない場合は、ボランティアスタッフの募集などもありますので、相談してください。未知なる領域にこそ、自分を高めるチャンスがあります。ぜひ都立大の健康福祉学部で新たな一歩を踏み出してほしいですね。
総合HP教員紹介ページ/
健康福祉学部 理学療法学科 信太 奈美 准教授(しだ なみ)