細野 秀雄さん(国立大学法人東京工業大学 名誉教授・栄誉教授 元素戦略MDXセンター 特命教授)
本学を卒業し、社会で活躍する先輩の皆さんにお話を伺うシリーズ企画「卒業生は今…!」。在学時代の学びや学生生活、大学での経験と今のご自身とのつながりなどを紹介します。
細野 秀雄(ほその ひでお)
東京都立大学工学部工業化学科卒業後、同大学院工学研究科工業化学専攻博士課程修了(工学博士)。名古屋工業大学工学部助手、助教授、東京工業大学助教授、分子科学研究所助教授などを経て応用セラミックス研究所教授やフロンティア研究機構教授、元素戦略研究センター長などを歴任し、2019年より名誉教授及び栄誉教授、特命教授。また2020年より国立研究開発法人物質・材料研究機構特別フェローおよびグループリーダー。
2013年には『鉄系超伝導物質の発見』の引用件数が世界一となり、ノーベル賞級の研究成果とみなされるトムソン・ロイター(現クラリベイト)引用栄誉賞の物理学分野に選出された。
「面白いから研究を深めたい」その一心で過ごした学生時代
先生が都立大に進学された経緯からお聞かせください。
私は八王子にある国立東京工業高等専門学校を3年で中退して、都立大の工学部に入学し、博士課程まで進学しました。当時は工業系の単科大学にあまり良いイメージを持っていなかったため、総合大学で勉強したいと考えていました。かつての都立大には昼間部と夜間部があり、両方の授業に出られることに魅力を感じていましたし、工学系で博士課程まで設置されている数少ない大学であったことも決め手になりました。
私が所属していた工学部工業化学科には当然基礎化学系の授業もありましたが、理学部に化学分野において気鋭で著名な教員がいたため、理学部開講の授業を数多く履修しました。工学部の教員からは怪訝な顔をされ、問い詰められもしましたが、「理学部の教員の講義を聞きたかった」とストレートに言ってしまうほど、我ながら「生意気」な学生だったように思います。
学生は大学をとことん利用した方がいいと考えています。また学生は、なんでも教員の言うとおりに行動すればいいというものではないでしょう。教員は学生が意気込んで授業に臨まなければ漫然と授業を行うことがあるものです。一方で、意欲的な学生に選ばれる必要性を感じれば教員は授業をより良い内容にするはずです。学生と教員は緊張関係にあるべきだという考えは、学生のときも教員となってからも変わっていません。
学生時代はどんな勉強をしていましたか。
大学で何を勉強すべきかを高専をやめる時からリストアップして具体的に考えていたこともあり、学部1年次からずっと電子の動きを研究テーマとしていました。理工系の研究室では教員から研究テーマを与えられるケースもありますが、私は卒業研究のテーマも自分で考えました。都立大の所属研究室にはそれが許される自由度の高さ(束縛の弱さ)があり、興味を持った研究に没頭できる恵まれた環境だったと思います。おかげで修士課程のうちに筆頭著者で3本の論文を執筆できましたし、博士課程まで進めば博士号の取得は全く問題なかろうと考えていました。ですから、学位の心配はしませんでしたし、そもそも面白いから研究したいという一心。「好きなことにバカになる」と言うべきか、とことん研究を深めたいという思いが何よりのモチベーションでした。
博士課程での具体的な研究テーマは「電子スピン共鳴」という基礎研究です。ただ、論文を審査する教員の一部からは「この基礎研究がテーマでは理学の博士号なら与えられるが、工学としてはどうかな」と言われてしまいました。結果的には工学博士号を取得したものの、私からすれば、理学と工学をはっきり分けて考えることはナンセンスであって、だからこそ学部時代には2つの学部に同じ科目があったのだと思うのです。当時は「世の中に直接的に役立つなら工学、役立たないなら理学」という固定観念があったように思います。
学部卒で就職するつもりはまったくなく、かといって大学院生のときに研究者を志したかといえば、そこまで明確なヴィジョンがあったわけではありません。ただ、当時の研究室には、企業、国立研究所を経由して北海道大学の教授から副学長になった後輩がいたほか、東京工業大学で教授から名誉教授になった川副博司さんが助手(現 助教)としているなど、同じ時期に切磋琢磨できる仲間や先輩と出会えたことは励みになりました。そんな中、学会で知り合った名古屋工業大学の阿部良弘先生が、私を助手として採用してくれることになったのです。
若い世代には下剋上を起こすくらいの気概を持ってほしい
助手として印象深い思い出はありますか。
阿部先生はバイオセラミックスなどの材料を研究されていて、当時としては珍しく、世界的な学術雑誌である『Nature』に論文が掲載された実績があるほどの研究者でした。私が着任した頃、ちょうど新規材料を発表した折だったので、阿部先生のもとに多くの人が詰めかけていて、材料開発の反響の大きさに驚いたことを鮮明に覚えています。一方、私は材料の研究をしたこともなければ、あまりも興味もなかったというのが正直なところでした。それでも、芥川賞作家である遠藤周作が、自分がクリスチャンであることについて「合わない着物を着ているうちに、段々と馴染んでしまった」と語ったように、私も着任後にやっているうちに自然と材料研究に慣れてしまいました。やはり所属を変わるということは重要だと思います。
材料は、物質の中でも世の中に直接的に役に立つものです。材料そのものは工学の範疇ですが、画期的な新規材料を開発するためには理学の範疇で基礎から研究を進める必要があり、理学の知見があった私にあっていました。阿部先生が理学に近い基礎的な手法をセラミックスに対して適用していた私を採用したのも、新たな視点で材料研究を展開させていく重要性を見据えていたからだと思います。
阿部先生は、強く命令したり威張ったりすることはないものの、研究内容については極めて厳しい方でした。原稿を持っていくたびに「これは世界で通用するかね」と言われました。「世界に通用しなければ意味がない」という揺るぎない信念があったからです。このことは、私の研究者としての矜持にも影響しています。
私が研究者人生の中で、変わらずに重視してきたことは、勝利が求められるプロの研究者であることです。研究者にとっての勝利とは世界で認められることであり「科学で飯を食うプロ」と、自分が満足すればよいアマチュアの科学愛好家とは意識からして別物。 「飯が食える」とは、研究者としての職に就き、クビにならない状況との捉え方もできますが、そのためには外部から研究費を獲得できることや、研究室に優れた学生が集まってくれることが不可欠です。
研究で大切なのは運と準備と独創性
先生の研究哲学をお聞かせください。
哲学といえるような立派なものはありません。現在は固体物理学で扱われる量子物質と、化学の分野である触媒作用を結びつける研究を進めています。このように、横断的な研究によってこそフロンティアが切り拓かれていくと考えています。各分野には“常識”があります。それがサイエンスに基づく真の常識ならいいですが、経験則に基づいたものに過ぎないケースも少なくありません。だからこそ、新たな視点で常識を覆していかなければ学問は進化しませんし、オリジナリティも出てきません。オリジナリティは日本語では「独創性」。「独りで創る」のですから、多勢に群れることなく研究を進めることも大切にしています。
また、研究を登山に例えた場合、頂上が見え始める8合目から頑張る人と、それ以前の6合目・7合目辺りまで走って登る人がいるとすれば、私は後者です。新たにテーマを設定したら、全貌がほぼ見えそうなところまで一気に突き進みたい性分です。ただ、研究を進めていけば状況が大きく変わる局面も多々ありますので、ロードマップはつくりません。当初思い描いたとおりに研究が進んだとしても、それでは多くの場合、画期的な発見につながる研究にはなり得ないと思うのです。
状況を変えるためには何が必要なのでしょうか。
研究を大きく進展させるには運も重要な要素になります。松下幸之助は従業員を採用する際、「あなたは自分が運が良いと思うか」と質問し、「運が良いと思う」と答えた人を採用したといいます。要は楽観的であるべきだということ。私も自分は運が悪いと考える人は、研究でも成果を上げることは厳しいと感じています。ただ、運は決してたなぼたで落ちてくるわけではなく、何の準備もしていない人は運をつかまえられないと思っています。その準備のため勉強が不可欠なのですが、愚直に勉強するのは、学生としての基礎学力を身に付けるときだけで十分だと思います。学問は勉強だけで一生が終わってしまうほど蓄積があり、キリがないからです。これはアマチュアとプロの違いにも通ずるもの。プロの研究者は勉強して知識を得ることが目的ではなく、新しいものを生み出す道具や武器となる手法や考え方を身に付けるために勉強するのです。
その上で、どこかの段階で何らかの方針を立て、覚悟を決めて実行するのみ。その先は、結果に応じてまた考えればいいことです。ただし、何らかの結果がでたときに、それが画期的であるか否かを峻別するための基礎学力は身に付けておく必要があります。私は猫好きですので「猫に小判」(猫が怒る!)という言葉は使いたくありませんが、基礎学力がなければどんなに素晴らしい新発見をしても、その価値を理解できません。
「生意気」な若手研究者による「下剋上」に期待したい
技術立国としての日本の再興には何が必要でしょうか。
海外に目を向ければ、熾烈ではあるがフェアな競争が繰り広げられている中国の学生は凄まじく勉強しますし、お隣の韓国は人口が日本の約半分にもかかわらず、論文の総数も被引用数の「トップ10%論文」も日本を上回っています。これは日本の研究者が厳しい競争に身を置いていないことの裏返しだと思います。私は「Japan as Number One」の時代を経験して、海外では「日本はなぜこんなにも凄いのか」「それは禅の修行をしているからだ」といったトンチンカンな会話を耳にすることもありました。しかし、今となっては昔話。国際会議に出ると、アジアの代表はもはや日本ではないのだと痛感します。日本の惨状には目を覆うばかりなのです。
日本国内では若手研究者を育てるべくかなりの予算が計上されていますが、若手研究者というバイアスがかかっているのは日本くらいなもの。かえって甘やかしてしまっているのではないかとさえ感じます。研究者を本気にさせるためにも年齢に関係なく競争させ、研究費を割り当てていけばいいというのが私の考えです。いずれにしても競争は生まれ、全員が満足することはありません。
また、日本の一部の研究者は、海外ジャーナルへの論文投稿に積極的とはいえません。海外から留学生が来た場合、世界的なジャーナルに自分の名前が掲載されないとなれば、帰国しても高い評価は受けられません。その結果として想定されるのは、優秀な留学生が日本に来なくなることです。由々しき事態であり、国際的なランキングを上げるなど、海外から見て魅力ある大学にすることが喫緊の課題でしょう。重要なのは、どんな特徴の大学にするのかという大学のヴィジョンとマネジメント。そして、「生意気」な学生を入学させることです。そのためには、教員も生意気で個性的である必要があると考えています。
若い研究者や学生、受験生にメッセージをお願いします。
若い世代には下剋上を起こす気概を持ってほしいです。若い世代とシニア世代が競争関係になれば、時間が経てば必ずと言っていいほど若い世代が勝ち、古い世代を追い越し台頭していくものです。個人的には若者を育てるためにメッセージやアドバイスを送る時間があったら、自分がさらに伸びることに時間を使う方がいいと考えているくらいです。
もちろん、若い世代といっても多様であることは承知しています。私は科学技術振興機構の「さきがけ」の総括などで、若手研究者を採用するような場面では「生意気さ」を重視してきました。見るからに生意気な研究者もいれば、上品で穏やかな語り口でも「古い世代より自分の方ができる」「前の世代をひっくり返してやろう」という強固な意思が言葉の節々に感じられる研究者も結構いるものです。どちらも尊重すべき個性ですが、研究でより大切なのは教員に媚びへつらうことのない生意気で突き抜けた意気込み。育てようとしなくても、生意気な人材ほど有言実行で伸びていく傾向にあるように思います。さらには生意気同士が集まることで刺激し合い、厳しい競争で揉まれながら伸びていくのです。誰よりも生意気な学生だった私が言うのですから、そう間違っていないと信じています。
主な論文掲載・受賞歴
●2003年
電気の流れるセメント(12CaO・7Al2O3)を創製(『Science』誌掲載)これは初めての安定な電子化物(エレクトライド)となった。
結晶IGZOを使った透明薄膜トランジスタ(TFT)を『Science』誌に掲載
●2004年
アモルファスIGZO-TFTに関する論文を『Nature』誌に掲載
●2008年
超伝導を示す鉄酸化物についての論文『鉄系高温超伝導物質の発見』を発表し、『Science』誌の「ブレイクスルー・オブ・ザ・イヤー」を受賞
●2009年
紫綬褒章を受章
●2010年
朝日賞を受賞
●2012年
液晶や有機ELディスプレイなど、IGZO TFTを用いた製品化がスタート
電子化物を使った温和な条件でアンモニア合成を可能にする触媒を報告(Nat.Chem.掲載)
●2013年
『鉄系超伝導物質の発見』の引用件数が世界一となり、「トムソン・ロイター引用栄誉賞」を受賞
●2015年
恩賜賞・日本学士院賞を受賞
●2016年
日本国際賞(Japan Prize)を受賞
●2017年
英国王立協会外国人会員に選出
電子化物触媒技術の工業化を目指すスタートアップ「つばめBHB」社を設立
●2018年
Von Hippel Prize(Materials Research Society)を受賞
●2023年
Eduard Rheine Prize(ドイツ)を受賞