なぜ、9月1日は防災の日なのですか?
日常で見聞きし体験していることの中には、「これって、どうなっているのだろう?」「なんで?」と思っていることがありませんか。そんな疑問に、本学の教員がご自身の研究を通してお答えします。
都市環境学部 都市政策科学科 市古 太郎 教授
東京都立大学都市科学研究科博士課程修了後、横浜市役所勤務、日本大学理工学部助手、東京都立大学大学院都市科学研究科助手、早稲田大学社会科学部非常勤講師、日本女子大学住居学科非常勤講師、首都大学東京都市環境学部都市環境学科建築都市コース准教授を経て現職。専門は、都市計画・まちづくり。日本都市計画学会論文賞受賞(2020)。
疑問:9月1日が防災の日になった理由と、防災まちづくりについて教えてください。
Q. 100年前の1923年9月1日に起こった関東大震災は、どんな災害だったのでしょうか?
関東大震災は1923年9月1日の11時58分に発生し、東京都や神奈川県で10万5千人の市民が震災による直接的な犠牲者となりました。東京では約8万人、その約9割が焼死です。そしてその半数に近い3万8千人は、今のJR両国駅北側にある横網町公園付近で亡くなりました。この場所は、明治初期に陸軍被服廠、つまり陸軍の兵隊さんの軍服を製作する工場だったのですが、この工場が移転し、公園整備のため大きな空き地になっており、多くの住民がこの場所に避難しました。地震発生時は昼食の支度もあり火が多く使われ、また、風向も変化する強い風の影響を受け、各所で発生した火災が延焼していきました。発災から4時間が経過した16時頃、陸軍被服廠跡地付近に四方から火災が迫り、炎による輻射熱と火災旋風により、多くの命が失われました。
安全な避難場所や避難計画が整っていれば、これほどまでの犠牲者を出すことはなかったことでしょう。そうした反省から、大都市の都市政策としての都市防災対策が体系化されていくことになります。9月1日は、犠牲者を追悼すると同時に、防災訓練などを通して、被害を繰り返さないための知識と技術を維持向上させていく一日ともなっています。
Q. 都市計画研究と都市防災対策の関係とは?
都市防災研究は、災害発生時、都市被害と都市生活への影響およびその回復実態を調査する災害復興研究と災害事例も踏まえて、次なる災害への対策を考究する被害軽減研究の2つの領域で構成されています。
震災に強い都市づくりは、都市計画・まちづくりの目標として、関東大震災後の帝都復興や、遡って江戸から東京への明治期の近代都市計画成立においても計画目標となりました。高度経済成長期の東京の都市づくりでは、震災火災時に安全な避難場所となる一定以上の規模を有した都立公園を整備してきました。
現代の東京の都市づくりにおいても、被害軽減に向けた都市デザインは大事な柱となっています。例えば、渋谷・新宿・池袋といった大規模ターミナル駅周辺の再開発においては、公開空地や建物内の共用利用フロアーが帰宅困難者の滞留場所という側面ももって創出されています。ここでも帰宅困難者に関する都市防災研究の知見が反映されています。
Q. 先生が受賞された日本都市計画学会論文賞の「首都直下地震に備える事前復興まちづくりに関する研究」とはどういうものですか?
「事前復興まちづくり」は、その名のとおり「事前に自然災害後の復興に備える」取組です。東日本大震災のような大規模自然災害では、住まい再建においても住宅だけの再建ではなく、安全な「まち」として再建していく必要があります。つまり、一日でも早く「すまい」と「くらし」を回復したいという被災者の当然の想いに対し、災害被害を二度と繰り返さないための安全性と快適性を有した「まち」の再建は、当然、時間を要するものであり、災害が発生してから設計していては遅いのです。事前復興まちづくりは、平時からしなやかに、速やかに回復するコミュニティをつくる、という営みでもあります。
大規模な自然災害の直後は、地元自治体による避難所開設、自衛隊による捜索救助など、公的機関の救援活動が大きな役割を担います。そしてその後、避難所が解消され、応急仮設住宅での仮住まい段階になってくると、言い換えれば、緊急対応期から復旧復興のフェーズに入ってくると、被災者自らの「こんな生活に戻りたい」「こんなコミュニティを取り戻したい」というモチベーションと主体性が大事になってきます。公的機関だけでは「よい復興」を実現することはできないのです。
東日本大震災に際して研究室では、宮城県気仙沼市階上地域において津波災害からの復興まちづくりの支援活動を実施しました。住民の方と移転先となる高台を探すことからスタートし、地形と住宅の模型を用いながらコミュニティ・デザインに取り組みました。初回のワークショップは、硬い雰囲気もあったのですが、5回目以降、新たな住まいでの生活像が見えてくると、皆さん、だんだんと表情が明るくなり、生活再建への手応えをつかみつつあることは印象的でした。
トルコやインドネシアといった海外調査も含む災害復興研究、また気仙沼でのような直接支援の経験も踏まえて、戦後未被災地の東京において、事前復興まちづくりワークショップに取り組んでいます。東京都内で50地区以上に達している取組の一環を担っています。研究室の社会貢献活動として学生ともども参画し、まちづくり提案活動を実施しています。
Q. 自然災害から身を守るためには?
最も大事なのは「防災リテラシー」を身に付けることだと思います。そのリテラシーがいざという時、適切な判断と行動につながります。例えば台風災害では、気象庁は5日前から台風進路等に関する「台風情報」を公表します。台風が最接近するまでに、どのような準備を行うか、旅行は中止するなどの万全の行動をとる、場合によっては自宅を離れる立ち退き避難も必要かもしれません。災害を「自分ごと」として予見する、刻一刻と変化する災害情報をインプットして予見の精度を上げてタイミングを逃さず適切な判断をする、それが防災リテラシーです。
次に、リスクコミュニケーションを行うことも大事です。とりわけ、家族間での災害に関する話し合いは欠かせませんし、最も必要なリスクコミュニケーションです。そして同居家族だけでなく、祖父母や親戚とも話題にしてみることが大事です。もちろん、友人やアルバイト先でも、発災時にどう行動するか、軽いノリでもよいので会話ができるといいと思います。
一方で、自分だけで考えていると、不安だけが大きくなりその先が見えない…ということもあります。だからこその防災研究です。事前対策としての選択肢や、避難所の生活環境とその改善策、復興まちづくりのプロセス、こういった知見が体系化されています。
また、住んでいる地域での防災に関する話し合いに参加することも有効だと思います。自分が感じていた災害不安は、地域共通の不安であり、お互いに協力し、解決していく方法も見い出せるかもしれません。研究室活動として、毎年いくつかの地域コミュニティの防災ワークショップに協力させていただいています。その際は研究室の学生もファシリテーショングラフィックなどを駆使して、地域のリスクコミュニケーションに貢献します。災害に対する「わたし」の不安は「わたしたち」の不安でもあること、備蓄の工夫などちょっとした防災アイディアが共有され、地域の防災資源を活かした地域防災活動につながっていきます。
市古先生ご自身のことについて
Q. 先生がこの研究に進まれたきっかけについて教えてください。
大学時代は、都市計画・都市デザインを学び、快適で美しい都市をデザインすることを将来の仕事にと思っていました。大学院修士課程に在席していた1995年1月、阪神・淡路大震災が発生し、現地を訪れたことが大きな転機となりました。快適で美しい都市をデザインすることにも関心を継続していますが、それ以上に災害被害を最小限にできる都市とはどんな空間構造形態なのか、しなやかに、速やかに回復できる社会体制やプログラムそしてコミュニティとはどんな関係性集団なのか、そういった点を深く研究したいと思うようになりました。
その後は、2004年新潟県中越地震、2011年東日本大震災、2016年熊本地震といった国内災害、1999年台湾集集地震やトルコ・西マルマラ地震、2004年インド洋津波といった海外復興調査に従事する機会をいただきました。どの災害現場でも、たくましく、しなやかに回復する人々やコミュニティに、私自身、大いに励まされてきました。同時に、被災地での回復の営みを通じて学ばせていただいたことを「事前復興まちづくり」に反映しようと研究に取り組んできました。
Q. 最後に、学生や受験生に向けてメッセージをお願いします。
大学入学共通テストでも、地理・地学科目に限らず、自然災害に関する問題は出題されています。大学受験を通して、学生の皆さんは自然災害に対する一定の知識は身に付けていると思います。そこからの「学び」の展開として、災害に対して自分の命や家族を守る、前向きに回復していく力を育む方法論が広がっています。自然災害に関する科学的な知見を身に付けることは、身近な人を守ることにつながるのです。また被災地の方々は、学生を温かく迎えてくれます。学生たちも多くを学び、たくましく成長していきます。
1号館にある「東京都立大学ボランティアセンター」でも被災地復興の活動を支援していますので、関心がある方はぜひ訪問してみてください。
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都市環境学部 都市政策科学科 市古 太郎 教授(いちこ たろう)