「牧野マニア」いとうせいこうが語る牧野標本
植物への造詣が深く、自らを「牧野マニア」と称されるいとうせいこうさん。NHKの連続テレビ小説「らんまん」に、牧野博士の恩人であり「日本の博物館の父」として知られる田中芳男がモデルと思われる里中芳生役でご出演されています。今回の特集は、いとうせいこうさんに本学所蔵の牧野標本をご覧いただきながら、牧野博士の功績や牧野標本の魅力について語っていただきました。
パネル画像提供:高知県立牧野植物園
いとう せいこう
1984年早稲田大学法学部卒業後、講談社に入社。86年に退社後、作家、クリエーターとして、活字・映像・舞台・音楽・ウェブなど、あらゆるジャンルに渡る幅広い表現活動を行っている。
「牧野マニア」を自称されていますが、牧野富太郎先生の魅力とは?
僕は、植物だけでなくいろいろなジャンルに興味を持つタイプの人間ですが、そんな僕にとって牧野富太郎博士は自分のずっと上にいるすごい人です。博士は、植物への造詣だけでなく、植物画も非常にうまく、印刷技術、都都逸(どどいつ)※、ソシアルダンス(社交ダンス)と、いろいろなものに興味を持って学び吸収し自分のものにしてしまう。造り酒屋の跡取りで、お金も時間もある程度は自由に使えたからこそかもしれませんが、牧野博士のインテリとしてのマルチ性は本物のアカデミズムであり、その根底には美しく純粋な好奇心があるのです。
はっきりいえるのは、好奇心を抑えずに突き進む彼を寛容に見守り、支えてくれた家族や周りの人間、環境・社会があったということ。現在の社会は、人の好奇心を「それって何の役に立つの?」と抑えがちですから。小さな子どもの好奇心を見守り育てるように、人の好奇心を抑えつけずに容認する社会でなければ、牧野博士のような逸材は生まれないと思うのです。晩年は日本全国を回って採集し、多くの植物愛好家を生み、牧野ファンをつくられました。知り合いのミュージシャンに「牧野博士の全国ライブツアーですね」なんて言われたことがあったけど、そのとおりだと思いました。コール&レスポンスでファンと一体となって盛り上がる、大エンターテイメントですよね。
※都都逸(どどいつ) 7・7・7・5の4句26文字の形式で作られることが多く、川柳と同様、大衆即興文学として江戸時代に完成したといわれている。
牧野標本の見どころ・面白さについて教えてください。
僕は標本については素人ですが、牧野標本は1枚の標本の中にいくつかの時間軸が存在していて見るたびに感心します。花と種のそれぞれの時期を標本1枚にまとめ、時間を支配しながら植物1つの生命の全体像を示す。まるでピカソの絵を見ている時と同じ感覚を覚えたので、「キュビズム」と呼ばせていただいています。
牧野博士は植物画も同じく秀逸です。特に好きなのはやっぱり「ムジナモ」の植物画。見る人の目の動きを考えてレイアウトされている。自然な流れで見ていると植物の育つ様子が動いているような、動画を見ている気にすらなります。
牧野博士は「4Kの目を持っていた」と僕は思っているのですが、もしかしたら8Kぐらいかもしれません。以前、テレビ局の8Kカメラでムジナモを撮影したのですが、8Kにして初めてムジナモの表面の質感をカメラで捉えることができました。でも牧野博士は既に質感をカメラで見たようにリアルに図で描いている。現代テクノロジーがようやく牧野博士に追いついた!と、驚きましたね。
「らんまん」ご出演への思いは?
牧野博士が敬愛する田中芳男さんがモデルの役をやらせていただくなんて仰天しました。作家として面識のある長田育恵さんの脚本ですが、セリフもとても良くて、泣かせます。
田中芳男さんは長野県飯田生まれの方ですが、実は僕の両親が信州出身で、彼の育った飯田の空気感がよく理解できるんです。なにか巡り合わせを感じます。
植物監修の田中伸幸さんとは、高知県の牧野植物園にいらした時代にも何度もお会いしていたので、そばにいてくださるのはとても心強い。田中さんの植物に関する考証がすごく細かくて、例えばパリ万博から実際に田中芳男さんが持ってきたというサボテンと同じものがセットにあったりして、当時にタイムスリップした気分で演じさせていただいています。
撮影はまだまだ途中で、最後がどうなるか僕もわかりませんが、楽しみでもありちょっと怖い部分もある。牧野博士のことをよく知っている僕だからこそ、どのようなストーリーになるとしても最後までしっかりやりきらないと罰があたっちゃいますからね。
「らんまん」の見どころは?
田中伸幸さんの植物監修はまさに見どころです。また、撮影を重ねるにつれ、撮影スタッフ全員が植物に対する愛情や知識を高めていて、本当に牧野博士たちが生きていた時代の空気を感じられるドラマに仕上がっています。ドラマを楽しみながら、このようなすごい学者が日本にいたことをみなさんに知ってもらいたいです。
晩年に牧野博士が体調を崩された後、新聞で広く報道され、天皇からお見舞いのアイスクリームが届いたりもしたそうです。それくらい日本中の人が心配した。当時の人々は自分と学問のつながりを感じていたんでしょう。学者や学問、インテリジェンスそのものに対し親しみと敬意を持っていたのだと思うのです。「らんまん」を見て、牧野博士の生き方が素敵だな、先生を支える周りの人々が素敵だなと思うのと同時に、「自分たちはどうだろう」と少しでも考えてもらえたらうれしいですね。
ドラマを見て、都立大の牧野標本館※にも足を運んでもらえるといいですね。標本なんて専門的だから、と思う必要はない。自分なりに疑問に思ったことを心の中で対話しつつ自由に好奇心を広げることで、見えてくるものがありますから。
最後に受験生や学生たちに一言お願いします。
大学の楽しいところは、例えば世界的に有名な牧野標本館というものが大学内にあって、自由に見られたりすること。よくわからないけど「これ何だろう」っていうものが沢山あるのが、大学の素晴らしいところです。僕も、大学時代に全く違った価値観の人や全国から集まった学生たちと同じ授業に出て意見を交わすのはとても面白く、刺激的でした。
学生の皆さんにも自分の野生の勘を研ぎ澄まして、好奇心を制限せず、可能性を決めつけずにまずは広げてみてほしいと思います。将来役立つかどうかに関係なく、どんな興味に対しても、応えられる人材や資料が豊富にあるのが大学という場所です。就職とか将来のことを現実的に考えるのも大切ですが、この時代だから知り合える先生や友人との交流、そして自由な時間を大切にしてほしい。大学での過ごし方が、後の人生の面白さ、奥深さにつながると思います。
※本館標本展示コーナー。標本保護のため、一般の方は牧野標本館の本館・別館内の標本庫に入館いただけません。2023年7月15日~9月30日に企画展を開催します。
いとうせいこう 監修 われらの牧野富太郎! 毎日新聞出版 編
僕は牧野博士について、いろんなところで語ったり、文章を書いたりしてきましたが、とうとう丸ごと1冊牧野富太郎という本を監修させていただきました。植物好きが高じて作っていた「PLANTED」という雑誌に携わってきた方々からも、牧野博士の素晴らしさを改めて教えてもらうことができました。多くの方の「牧野愛」で完成した本です。「らんまん」と併せて、ぜひご一読ください。
植物系統分類学研究室の院生・山口万里花さんが、いとうせいこうさんを牧野標本館 別館 標本庫にご案内。収蔵される牧野博士や田中芳男氏、シーボルトの標本を見ていただきました。
※標本保護のため、一般の方は牧野標本館の本館・別館内の標本庫に入館いただけません。2023年7月15日~9月30日に企画展を開催します。
理学研究科 生命科学専攻 博士前期2年
山口 万里花(やまぐち まりか)さん
牧野標本館 別館 標本製作室・冷凍殺菌室
ここで採集した植物を押し葉にして乾燥させます。こちらは標本製作専用のオーブンです。
このオーブンでは何日ぐらいかけて乾かすの?
牧野標本館 別館 標本庫内
※タイプ標本:新種の植物を発表する際に、新しい学名の基になった標本のこと。より重要で学術的価値が高い
牧野標本館秘蔵のシーボルトコレクション
いとうさんもびっくり!日本の博物館の父 田中芳男先生の標本
高等植物や菌類(キノコ類)の多様性や進化の歴史、種分化過程の解明を目指し、フィールドでの標本資料の収集や調査を大切にすると同時に、実験室でのDNA解析などの最新の研究手法も組み合わせて研究を進めています。生物の多様性を扱う研究室ですから、研究テーマも研究材料も全員ばらばら。新たな発見や成果が出れば、その学生の手柄です。自分の能力を見極め、責任をもって研究を進めることで、学生も大きな成長を自分で実感できると思います。
理学研究科 生命科学専攻 教授
村上哲明教授
植物分類学は、未発見の分野がたくさんあってフィールドでのワクワクが止まりません
私は、ネコノメソウ属の植物について研究しています。春の花の時期には、全国の花の様子や花に来る虫を調査するため、日本中の山を飛び回っています。本や論文で得た知識と、フィールドで実際に自分で観察したものが異なるケースも多く、驚きと新発見に出会えることが植物分類学の大きな魅力です。将来は、自然の中で多様な生き物と出会える楽しさやワクワク感を多くの人に伝えられるような博物館の学芸員になりたいです。
東京都立大学 牧野標本館 企画展
~「日本の植物分類学の父」牧野富太郎が遺したもの~
会期:2023年7月15日(土)~9月30日(土)
※日曜・祝日・一部の土曜・燻蒸期間を除く
会場:牧野標本館 別館 TMUギャラリー
普段は公開していない貴重な牧野標本をご覧いただけます。ぜひお越しください。
詳細はこちら
総合HP教員紹介ページ/
理学部 生命科学科 教授 村上 哲明(むらかみ のりあき)